今日も明日もありがとう。

質素な生活ですけど、楽しいんです。

友達がいない事は悪い事にはならない、逆に良い事尽くめな事実。

スッキリ!

おはようございます。たよちでございます。

私には友達がいません。なので、働いている時や日常生活でどうしても必要となる時間以外は、全て私自身が常にやりたい事に全ての時間を注げています。とは言いつつも、やっている事は質素な生活なんですけどね(それも自然と)

逆にですよ?友達がいない生活が当たり前になった事によって、友達がいる生活が何だか窮屈だなと感じてしまうんですよ。これを言ってしまうと『ええ!?』とかって思う方が大半かと思いますが。

じゃあ、実際に友達がいないとどれだけ良い事が多いのかを、今回は私の視点で色々とまとめてみたいと思います。

 

  

 結局、自分1人が一番楽。

 

これは冒頭の通りになるのですが、友達がいるという事は、それだけ自分の時間が削れてしまう事にもなってしまうのです。で、自分の時間が削れてしまうという事は、それだけ自分自身と向き合う時間が失う事にも繋がります。

私は自分自身と向き合う時間というのは、友達と楽しい一時を過ごす時間よりもずっとずっと大切だと思っています。むしろ、友達との付き合いというのも、一人の時間があってこそ、維持出来るモノなのでは無いでしょうか?

例えば、私なんかは誰かと行動を共にすると、小一時間で『ああ、早く解放されたいな』なんて思ったりします。私は場合は極端かも知れませんが、人はみんな得手不得手やら好みが違いますので、内心は『あ~私はこの方がいいのにな』とかって気持ちを抱えながら行動してるのです。

不満。

つまる所、友達というのは『気の置けない間柄』だと定義すると、上でもお話した通り『あ~私はこの方がいいのにな』という場面はしょっちゅうある訳ですから、『100%気の置けない間柄』というのは存在しない訳です。

じゃあ、100%気の置けない状態というのは何だろうか?と追求すると、それはやはり『自分一人でいる状態』になるのです。自分一人でいれば、例えば、お昼ごはんを食べる時にありがちな、『他人を気遣って、無難そうな食事処にする』という苦渋の決断をしなくて済むのです。

そして、自分自身が最良だと思えるチョイスをすれば良いのです。それは直感的に『今日はカレーライスが食いたいから、カレー屋にでも行こうか』って思ったり、『カレー屋に行こうとした瞬間に、あ、やっぱりラーメンが食べたくなったから辞めよう』とか、常に自分に正直で居るのです。

 

 無駄な愚痴に付き合わない。

 

これは女性の方だと思い当たる節がたくさんあるかと存じますが、他者の不平・不満などで構成される『愚痴』を延々聞かされる場合が多々発生します。『意見』として何かを述べるのは私は良い事だと思いますが、感情的に『愚痴』になるのは、私は何も良い事は無いですね。

基本的に『愚痴』の本質というのは、その愚痴を放っている本人のストレスの発散だったり、共感してもらう事による『承認欲求の確保』であって、その愚痴を吐き出したからと言って、何か問題を解決するという展開になりません。つまり、愚痴というのは本人以外『無』なのです。

しかしながら、例えば『○○さんってすっごいムカつくよね~』って誰かが愚痴を放ったとして、『うん、わかるわかる~』という感じで、愚痴を放った相手と受け止めた相手双方共に、パッと見良い愚痴の吐き方がある様にも思えますが、これも良くは無いですね。

何故ならば、少し手前で言ったばかりではありますが、その『○○さんがすっごいムカつく』という事実を双方で認め合った所で、そこから先の問題を解決する展開になっていないからです。『○○さんがすっごいムカつく』という結論を導いて話が終わっているのです。

ですので、愚痴というのは、私は出来る限り避けたい事象だと思っています。が、愚痴に遭遇した時は聞く様にはしています。愚痴を言ってる人間というのは、愚痴を言う事でしか解決策を見出せないか、愚痴を言わなきゃやってられない状況だからです。

助けて!

しかし、そこから先の問題を解決するにあたって大切なのが、『何故、○○さんがすっごいムカつく』のか?を探る事になります。まあ色々な理由が考えられるでしょう。後進育成の為にあえて厳しく指導しているとか、元々そういう生活・気質だからとか、そんな感じですかね。

で、その色々な理由が人の為であれ、自分の為であれ、当ブログでも過去に出てきたかも知れませんが『人は基本的に変えられなくって、自分自身で変える事しか出来ない』のですよね。だから、納得の行かない要素であっても、それは受け入れる事が問題解決への王道ルートになるのです。

そしてその問題解決に至るには、大体の場合『自分自身で一生懸命あれこれ考えて、自分自身の中で気づく(本質的理解)』という肯定が必要になって来ます。つまり、他人に問題解決を求めても、問題解決なんて出来ないのです。

それに他人を使って問題解決したい時って、大体『自分の答えをすでに持っている』事が大半ではないでしょうか?例えばの話『ねえねえ、この服とあの服でどっちが似合うと思う?』って他人に尋ねた場合、その前提として『あたしはこの服が似合う』という答えを既に持っているでしょう。

だから、愚痴は当然の事ながら、誰かに聞きやすい状況を作るというのは、実は自己成長の妨げになるんですよね。そういう意味合いでも、私は気軽に何でも話せる友達という相手はいない方がいいと思っているのです。

 

 無駄な外食に付き合わない。

 

また友達がいると、大体どこかに遊びに行くという行動が発生すると思います。で、遊びに行くとなると、お昼ご飯なり夕ご飯を外食で済ませるという事は当たり前の様に発生しますよね?また、どこかの居酒屋やバーに行って、お酒を呑むなんて事もあるかと思います。

で、大体外で食べるという行為というのは、健康に害のあるモノをたくさん摂取してしまう行為そのものに直結しがちです。例えば、お砂糖なんかは『百害あって一利なしの調味料』なのにも関わらず、外食だとほとんどのメニューに含まれていたりしますよね?

砂糖。

また、お酒もそうですね。お酒は食欲増進や気分の高揚にこそ繋がりますが、お酒はもちろん糖分もしっかり含まれていますし、お酒に含まれるアルコールによって、呑んだ翌日というのは、大体の場合は目覚めが良くなかったり、気だるさが残っていたりするものです。

そして遊びに行くとなったら、車でドライブに行くという方も多いかと思いますが、ドライブのお供として良く挙げられるのが、コーヒーやお茶などのカフェインを含んだ飲み物ですが、カフェインは実は気分落ち込みやイライラの原因になるので、摂取しない方がいいんですよね。

いかがでしょうか?友達とどこかに遊びに行って、外で何かを食べるという行為というのが、大体の場合、健康に害を及ぼす事に直結しているというのをご理解して頂けたかと思います。

 

 まとめ。

 

という事で、今回は友達がいないことなんて悪い事にならなくって、逆に良い事尽くめであるというお話をさせて頂きました。いかに友達とべったり行動する事が、自己成長の阻害に繋がったり、食生活の乱れに繋がるかをご理解頂けたかと思います。

そして、マイノリティ(少数派)ではありますが、友達がいない事がとても良い事だという風潮が、もっともっと広まってくれればいいと思います。ただし、今いる友達が本当にかけがえの無い友達だと思っているのであれば、その友達は大切にした方がいいと思いますが。

本日もここまで長い記事になってしまいましたが、最後までご覧頂きまして、本当にありがとうございます!

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