今日も明日もありがとう。

質素な生活ですけど、楽しいんです。

転売は副業にはおすすめなんだけど、モラルに問題があると思う。

ネット転売。

皆様どうもこんばんは。たよちでございます。

昨日投稿された記事が、どうやらはてなブックマークの新着エントリーに表示されたらしく?その影響で初プチバズみたいな感じになってました。とは言いつつも、新着エントリーに表示されただけですので、閑古鳥が鳴かなくなったかな?位のインパクトでしか無かったですが。

しかも、フェイスブックやツイッターでどうやらけっこうシェアされてるみたいなので、この記事を執筆しようとしてる今現在、ツイッターやはてなブックマークからのアクセスが多い様です。まあどういう意味合いでシェアされたのかは、ちょっと判りかねますが。

さて、本日のお題なんですが、昨日の記事にも出てきた『転売』について色々と語って行こうかなと思っています。そうそう、昨日の記事をご覧になってない方は、以下にリンクを貼っておきますので、こちらをまずはご覧になって下さい。 

それではご覧になって頂けましたという事でお話を進めて参ります。本日もとても長い記事になるかと思いますので、お時間が許す様でしたら、最後までお付き合い頂けますと幸いです。それでは行ってみましょう!

 

 

転売は利己的であるという見方。

 

さて、今この記事をご覧になっている皆様方にお尋ねしたいのですが、皆様にとって『転売』ってどういうイメージをお持ちでしょうか?恐らく、一般的に考えると『嫌なイメージ』が先行している感があって、ビジネスとして考えると『喰えるイメージ』が先行しているかと存じます。

まず、一般的な視点で掘り下げてみましょうか。まあこれは私独断の判断というか感覚なんですけれども、まずは『転売屋を叩く』という行動に出る方がたくさんいらっしゃる訳なんですよね。これは『転売という行為がいけない』という考え方が根底にあるが故のアクションなんですよね。

転売屋はいかん!

しかしながら、『世間が転売がダメって言ってるんだから、転売はやっちゃダメなんだ!』って思っていらっしゃる方もけっこう存在するとは思っているんですよ。じゃあ、何故転売がダメっていう思想がこの世の中に広がったのでしょうか?

私なりの考えなんですけれども、ざっくりと申し上げますと『利己的』であるから。これに集約されると思うのです。じゃあ何がどう『利己的』に見えてしまうのでしょうか?ここでポイントになるのが、世の中のモノの流れ(流通)です。

当記事を今ご覧になっている皆様にとっても、この記事を執筆している私自身にとっても、日常生活を営む上で欠かす事の出来ない『小売店』というジャンルのお店が存在します。言わずもがな、そこらに点在する『コンビニ』とか『スーパーマーケット』とかの事ですよね。

で、『小売店』というのは『消費を目的とした客に売る』というのが前提条件である訳であって、『消費などせずに、そのまま別販路で商品として売る』という行為が、世間にとっては良くはないという思想を生むのだと思います。

 

転売は1つのビジネスであるという見方。

 

次に、ビジネスとしての視点で考えてみましょうか。ず、ビジネスとして考えるにあたって最重要なのが、転売は『合法である』という事実なんですよね(※ただし、例外があって『チケット転売(いわゆるダブ屋)』はダメですね)

転売屋はOK!

ですから、転売というのは法律的には『全然やっていい』んですよね。ですので、上記の『小売店で売られていたモノを別販路で商品で売られてしまった』という行為も、小売店側が様々な販路の実勢価格を精査してなかったという落ち度があるという言い方にもなります。

しかしながら、小売店側が様々な販路の実勢価格を精査出来るのか?って言ったら、かなり厳しいというか、無理なんじゃないでしょうか?言うまでも無いですが、取り扱い商品数が膨大なので、いちいち様々な販路の実勢価格を精査するなんて事はやってられないはずです。

それに実勢価格に合せていたとしても、今度はその実勢価格で売れなければ『死筋商品』に化けてしまうんですよね。で、死筋商品になって、その商品在庫を何が何でもゼロにしたいってなったら、実勢価格よりも大幅に引き下げる事でしか手段は無い訳です。で、転売の1つの切り口になると。

また、日本国内の経済活動において、価格の自由競争が発生する事は良い事だと思いますし(※ただ行きすぎはダメだとは思いますけど)、例え市場価格から大幅に値を上げてでも買い手がいるのであれば、それはそれで良いと思うのです。『WIN×WIN』が成立しているのですから。

 

 転売はぶっちゃけ稼ぎやすいです。

 

実は、私も過去に『転売』に手を染めていた時期がありました。ちなみに『転売』というのは、別名『せどり』って言ったりします。ちなみになんで転売の事を『せどり』なのかと言うと、ウィキペディア大先生曰く

一般的にはひらがなで「せどり」と書く。辞書では「競取り」という漢字が当てられているが、元々は「糶取り」という字が使われていた。


「糶取り」の「糶(ちょう、せり、うりよね)」とは、「米を売りに出す」の意で、そこから「米の競り売り」や「行商」のことを指す。漢字としては「出+米+翟(=擢:抜き出す)」から成り、貯蔵してあった米を選り出して売りに出すことを意味し、そこから転じて多くの物の中から選び出して売ることを「糶取る(動詞)」または「糶り取る」と言う。「糶取り」とは「糶取る」の連用形である。

©Wikipedia

なんだそうです。

それで、そんな『転売』というか『せどり』なんですけれども、今はどうだか知りませんが、私がこのビジネスに出会った頃は、『ネットビジネスの中でかなり簡単な方だし、何より結果が出るまでが早いし、けっこう稼げる』という感じでした。

私自身は色々と事情があって、軌道に乗るまでにけっこう時間が掛かってしまったんですが、それでも最終的には新卒社員のお給料位でしたら稼げてましたし、凄い方はものの数ヶ月で利益が2ケタ万円乗せとか、年収が1,000万超えの方もいらっしゃいました。

ですが、事業(感覚としては副業でしたけれども)を立ち上げてから3年目に入る前に、色々と重なった事があったのと、『転売』に対する意識の変化があって、『転売』を私は辞めてしまったのです。

 

 転売に対する心境の変化。

 

すぐ上の部分で、『色々と重なった事があったのと、転売に対する意識の変化があった』と述べました。じゃあ、具体的にどういう事があって、どういう意識の変化が私の中で発生したのでしょうか?

まずは意識の変化からお話したいと思います。恐らく、転売を辞める数ヶ月前だと思うんですけれども、それは突然思っちゃったんですよね。『転売って合法だけれども、モラルとしてはどうなの?』って。

モラルとしてはどうなの?

正しく、上の部分で述べた『ビジネスとして視点から、一般的(モラル)の視点へと、私自身が切り替わった時期』でした。それで深く考える日々が続きます。『私はこの商売を続けてもいいのだろうか?』とか『私自身が世間に対して悪影響を与えてしまっている』とかって考えました。

しかしながら、転売の収入は美味しかったし、何より『収入源を失うという恐怖やら不安』が私自身の中に同居していたので、惰性でダラダラとではありますが、転売は行っていたのです。

 

 転売を辞めて、新たなる世界へ。

 

そんな中、ある会社様から転売の事で連絡を受けた事がきっかけだったのですが(※積極的な転売屋さんにはホントしょーもない事なんですが)、その件がきっかけで、私は転売に対する意欲を失います。

そして、すぐ上にある通り『ビジネスとしての視点から、一般的(モラル)の視点へ私は切り替わって』しまいました。で、色々と自分の中で考えまして、思い切って『転売から足を洗う』事に決めたのです。

その当時は収入源が減る事による恐怖もありました。人は何かを得る喜びよりも、何かを失う衝撃の方が、感情の振れ幅がとても大きいからです(※これをプロスペクト理論って言ったりします)

また商品在庫も残っていたのですが、もう辞めるってなったら潔くさっさと辞めようとは思っていたので、同業の方に格安の料金でとっとと買い取って頂きました。

しかしながら、今はとても清々しい気分でもあり、またこうやってブログという私自身の心情を書き込みつつ、拙い知識・経験・ノウハウが主体ではありますが、『世の中の誰かの為の貢献に繋げられるツール』と出会えた事にとても感謝しております。

 

 転売屋を叩きたい訳ではない。

 

最後に、私はモラルの観点から転売に関してはネガティブ寄りな訳なんですけれど、だからと言って『転売を辞めろ!』とは全く言えない訳です。これは『転売をやる方には、転売をやる強い理由=その方にとっての正義』があるからです。

で、上でも述べましたが、転売自体は一部例外を除いて『合法』であります。だから、やっちゃダメだという事では無いのです。で、確かにモラルの問題がありますが、転売をやっていらっしゃる方は、この『モラル』なんかよりも、遥かに大切なその方にとっての『正義』があるんです。

ちなみに、転売を積極的にやっていらっしゃる方にとても多い理由として、『何が何でもお金が欲しい!』という理由がありまして、即ち『何が何でもお金をたくさん稼ぐ事こそが正義』な訳です。

そして『正義』というのは、外部の人間からではなかなか変える事は出来ないでしょうし、そもそも『人を叩く=価値観の押し付け』という行為に対して、私はネガティブな視点です。基本、人が変わるにあたって必要なのは、その人自身が本質的理解に至る必要があると考えるからです。

だから、転売をやるもやらないも、それは『その人次第』でいいんじゃないの?というスタンスです。まあつまる所、哲学的な思想にはなってしまいますが、それもまた自然の摂理なんだろうと思っています。

とまあ、相変わらずここまで長い文章になってしまいましたが、本日も最後までご覧頂まして、本当にありがとうございました!

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