今日も明日もありがとう。

質素な生活ですけど、楽しいんです。

私が読書をしないのは、読書をしても本質的成長に繋がらないから。

読書。

おはようございます。たよちでございます。

質素暮らしのお供と言えば、あまりお金が掛からない趣味になるのかと思うのですが、その中に『読書』が含まれる方もけっこういらっしゃるかと思います。ましてや『新刊本』じゃなくって、『中古本』に加えて、地元の図書館に行って本を探す。なんて方もいらっしゃるかと。

それで私の読書ライフのきっかけは、中学校時代の部活動の仲間内で、文庫を読む人間がいて、それが何だかカッコイイなという理由から始まりました。ですが、文学小説では無く、電撃文庫の様なアニメ(ゲーム)の小説を読むという事が多かったです。

そして、それからしばらくは読書の習慣が無かったのですが、再び読書の習慣が根付いたのが30手前位の時だったと思います。色々な自己啓発書を中心に、書物を読む習慣が根付いたんですよね。

はたまた、読書をする環境にもとかく拘る様になりまして、その頃から自宅内を毎日掃除する様になりましたので、自宅内でも落ち着いて読む事は出来たのですが、例えば近くの喫茶店に入り浸ってじっくり読んだり、静かな日帰り温泉の休憩室で読んだりとか、何だか小洒落た事をやってましたね。

しかしながら、その習慣も去年位から再び無くなったのですよね。読んだとしてもたまーに読む位ですかね。基本的には暇があればお散歩をするなり、瞑想をする事の方が多いんですよね。

じゃあ、何故私が読書という習慣を捨ててしまったのか?今日はこの辺りのお話をしっかりとして行きたいと思います。

 

  

仕事が出来る出来ないには繋がらない。

 

まず、皆さんが読書をする理由ってなんでしょう?恐らく大まかに言うと理由は2つに別れると思うのですが、1つは『もともと本を読むのが好きだから』で、もう1つは『貴重なインプットに繋がるから』の2種類に別れるであろうと思います。

ちなみに私は両方・・・と言いたいのですが、どっちかと言えば後者になりますね。ネット上で『読書』はいいですよと言われたのと、『読書』を通じて人生の勉強がしたい!自分自身をブラッシュアップしたい!という2つの気持ちが相まった結果だと思っています。

しかしながら、ある時に衝撃的な事実に遭遇します。その時は私が今でもお世話になっている方のメルマガを購読して読破していたのですが、ある日のメルマガにそれは記載されていたのです。『読書は本質的成長には繋がらない』と。

成長には繋がらない。

そのメルマガの執筆者は、何年間かかけて膨大な数の自己啓発の書籍を読み漁ったらしいのですが、仕事は出来る様になったかと言うと、ご本人曰く『かなり仕事が出来なかった』らしいのです。

逆に、自己啓発書を読み漁る量(インプット量)を減らし、ブログやメルマガを通じてご自身の心情を整理する習慣を取り入れたのだそうです(つまりはアウトプット量を増大させたという事)。その結果、次第に『仕事が出来る人間になった』との事なんですね。

つまりは、主に自己啓発書を主軸とした、読書によるインプット量に固執する訳でなく、ブログやらメルマガ等を通じたアウトプット量を重視した方が良いって事です。これはアウトプットする時に『思考力』が必要になるかと思うのですが、それこそが『本質的成長』に繋がるからですね。

 

心の中で満足しただけ。

 

じゃあ、私自身が読書をしてもあんま意味ないなって思ったきっかけは何か無いのか?というと、これがあるんですよね。ちなみに現在も本棚には飾り程度で色々な書籍を置いてあるのです。が、ふと思ったんですよね。『本は本質的成長に繋がる初歩にしか過ぎない』と。

もうちょっと具体的に申し上げると、本というのは確かに本質的成長に繋げる作用を持つけれども、『本を読了したからと言って、すぐに本質的成長が出来る訳では無い』という事だと思うのです。

恐らくわかりにくいかと存じますので、ここで私の身に起こった体験談を元にお話をしていきましょう。私もこれまで数はそこまででは無いですが、様々な自己啓発書やらビジネス書を読んできました。

しかしながら、読んでる時は『へ~!なるほどな~!』という感じで読み返していたのです。これつまる所私自身は腑に落とせてないんだけど、著者がそう言ってるんだから、そうなんだろうなというレベルでしか理解度が進んでいなかったという事なんですよね。

腑に落とせていない。

で、そのレベルだと、読了してから(個人差もあるでしょうけど)3日とか1週間を過ぎてしまったら、『あれ、あの本には何が書いてあったっけか?どんな大切な事が書いてあったっけか?』な状態に陥ってしまうのです。

どんなに本文中に付箋を張り付けて整理しまくっても、読了後にブログやらメルマガでこういう本でしたよとかってアウトプットしても、私の場合は全くと言っていいほど『本質的成長』には繋がらなかったのです。

つまる所、本を読んで『心の中が満足した』ってだけのお話なんですよね。よくよく考えて下さい?手持ちの本が本棚に100冊あったとして、その100冊分の本の内容を簡潔に述べよとかって言われても、そんな事出来ないですよね?(恐らくですけど)

 

読書が活かせる時。

 

で、読書が活かせる時というのは、私の中では2種類になります。まず1つ目になるのですが、あなたがこれからとある1冊の本を読破するとして、あなた自身がその1冊の本を読破するにあたって必要な本質的成長を経ている事です。

例えば、質素な生活が定着しているであろう、私のブログの読者様には無縁な事かと存じますが、『お金持ちになる為の習慣』的な、巷でよくありふれている自己啓発書を買って読もうとしたとします。

この場合、あなたがすでに『あ~はいはい、そうすりゃ金持ちになれるよね』って本質的成長(または本質的理解)を経ていなければ、その本を読んだとしても無駄だって事なんですよね。上でも述べている通り『へ~!なるほどな~!』で終わってしまうのです。

次に2つ目が、本を読了してからしばらくして、フラッシュバック的に本の内容が頭の中をよぎる時です。これも例を出すと、例えば職場の先輩や上司から『こういう時はこうした方がいいぞ』的なアドバイスを頂く事って、けっこう多いかと存じます。

で、その時に『あ!これはあの本の中で言ってた事がまんま一緒じゃん!あの本の言ってる事って本当だったんだ!』的な感じで、フラッシュバックが発生するのです。その時に、『へ~!なるほどな~!』レベルで読了した本への理解度が、ぐっと深まるのです。

 

自分自身で考え抜く事。

 

すぐ上で、読書が活かせる時という事で2点お伝えしましたが、よくよく考えて頂きたいのです。それって結局、読書する必要が無かったんじゃない?と。1つ目はすでに本の内容を腑に落とせるだけの本質的成長を遂げています。2つ目は本の内容を覚えていればの話です。大体忘れていますよね。

また最近の私なんですけれども、あえて読書に頼るよりも、しっかりと記述されたブログやメルマガの方が、どうもインプット量もアウトプット量も格段に上な気がします。特にはてなブログや独自ドメインを取得されているブログなんかは、読み応えのあるブログがとても多いです。

インターネット。

後は、これは速読出来ない私が悪いのでしょうけど、本はどうしても読破するのに時間が掛かってしまいます。また、それ相応の文字量になりますから、インプット量も膨大になりがちです。その点、メルマガやブログ記事は本程のインプット量はありませんから、整理しやすいのです。

という事で、最近は読書って私にとっては不要なんですよね。そしてタイトルの通りでもありますし、本文中で色々と言及させて頂きましたが、そもそも安易に読書をしても『本質的成長には繋がらない』と思っています。

そしてその代わりとして、読書の時間を全て『自分自身としっかり対面する時間』に充てるのです、そして自分自身の中でしっかりと考えを見い出し、それをブログやらメルマガでアウトプットすればいいのです。

そうすれば、思考力というのは着実に伸びていくかと思うのですが、読者の皆様はいかがお思いでしょうか?

本日もここまで長くなってしまいましたが、長い記事をご覧頂きまして、誠にありがとうございます!

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